日本の臼(石臼)

1.石臼が日本に伝わり広がるまでの流れ

2.日本で普及した石臼の特徴

日本の碾き臼の特徴は、ものくばり(供給口)が臼の中心から外れたところ付いていることである。
西洋、中国の臼は供給口は中心部或いは、中心部に対称に2箇所あいているのに対し、日本の臼は何故なる理由で中心を外れたところに1箇所になったのであろうか。

中国から日本に伝わった石臼は、 碾
(てんがい)と言われる大型の石臼が数例と、茶磨(さま)と呼ばれる抹茶を挽くための小型の石臼である。

茶磨は唐茶臼と呼ばれ上流階級に広がったが、精密な加工が要求され、実用品としては普及しなかった。
この茶磨を見本として、日本の石工によってつくられたのが、粉挽き臼の始まりではなかろうか。

粉にする対象は、大豆、蕎麦などの雑穀類全般であったであろう。
西洋において、主食の小麦を粉にするために特化され大型化されたストーンミルとは異なり、米を主食とする日本においては、バイプレーヤー的な存在であった。


3.用語の混乱
 舶来の文化を取り込むことに長けている日本人ではあるが、石臼(碾き臼)を受け入れるときに用語に混乱を生じてしまった。

日本には古来から稲作文化があり、脱穀、籾摺り、精米の技術が存在しており、籾摺りには木摺臼、精米には搗臼(つきうす)を用いていた。これらは<臼>と言う字から連想されるように、、円筒に窪みを付けたもので<臼>は象形文字そのものであった。

中国から最初に渡来した碾磑は大きさとと特殊な用途ゆえ、普及せずに数例の遺物が残っているのみである
。碾磑と言う文字はばらばらにすると、碾は薬研(やげん)を意味し、磑は石磨(せきま)を表し、二つ合わせると、ものを粉にする道具、さらにその道具を使っている施設、建物と広い意味に使われていたようである。

碾茶(お茶の葉を碾(薬研)で粗挽きしたもの)から抹茶をつくる<茶磨>を<茶臼>と呼んだ頃から混乱が始まる。日本では、粉を作る道具を総称して<臼>と呼んでいたらしい。

<茶磨>を<茶臼>と呼ぶようになってからすり合わせ粉を作る意味の<磨>が用いられずに、<石磨>は<碾き臼>といったように字が本来持っている意味から外れた用いられ方をし、現在に定着してしまった。

日本に古来からある<搗き臼>が、中国から渡来した<茶磨>を飲み込んでしまったように思えてならない。