1.鰹節(類)の種類(魚の種類と大きさ、製造方法によって分かれる)
・鰹節 マガツオを原料にして製造したもの。
・仕上節 本枯節ともいい、焙乾法により作った鰹節を三番カビ以上にカビ付けしたもの。
・本節 体重4〜6kgカツオを3枚に下ろし、更に血あい骨に沿って上下に切り分け、
1本の魚体から4本とった仕上節をいう。
背に近い部分を雄節、腹に近い部分を雌節という。
腹に近い雌節は、背に近い雄節に比べ油分が多い。
・亀節 仕上節のうち本節にする鰹より小さいものから作ったものは、3枚に下ろしたままで
鰹節にする。
姿が丸みをおび亀に似ているところから、亀節と呼ぶ。
・雑節 マカツオ以外のものを節に加工したものをいう。以下のものがある。
・宗田節 小型のソーダカツオ(関西では目近ともいう)からつくった節で、節の中では
最も小型である。
血合いを多くふくむので、他の節に比べ独特の渋みがあり、暖かいだしに好まれる。
・サバ節 ゴマサバを中心としたサバから作られるもので、香りはあっさりとして、甘みの
あるコクが特徴である。
ヒラサバとわれる本鯖は、節に加工しても美味しくない。
他の節に比べ油分が多く、コクのある出しがとれるが、出しを抽出しすぎると
生臭くなってしまう。
・ムロ節 ムロアジを原料にして作られる節で、近畿・関西方面でうどんやきし麺の出し
に使われる。
・イワシ類、その他
一般的には、イワシは煮干として流通しているが、まれに節に加工される。
その他、サンマ、アゴ(トビウオ)などがあるが、生産量は少ない。
・荒仕上節 仕上げ節が整形、焙乾後三番カビ以上のカビ付けをしたものを指すのに対し、
二番カビでやめたものをいう。乾燥不足で柔らかいため、加工が容易で削り節の
原料とする。
・荒本仕上 荒仕上節のうち雄節と雌節に別れたもの。
・荒亀仕上げ 荒仕上節の亀節
・荒節 焙乾(燻乾)と放熱を繰り返す「間欠焙乾」を6〜8回繰り返したもの。
水分はまだ30%近く有り、手で曲げられる。削り節の原料となる。
タール分が付着して黒くゴツゴツしていることから鬼節ともいう。
・裸節 荒節を2,3日樽に入れ、水分がでて柔らかくなったところで、タール分や表皮、
脂肪分などを剥ぎ取り裸にしたもの。カビを付ける前段階の状態。
・若節 荒節のうち焙乾の回数が少なくまだ水分の多いもの。タール分も余り付かず、
皮付きであるので、そのまま出荷され、関西地方はカビ付けを嫌うため、
飲食店の”だし”の材料として使用される。
2.鰹節の歴史(製造技術の発達と技術の伝播に絡んだ人たち)
古代(大和朝廷)
・8世紀始の大宝律令では、煮堅魚、煮堅魚煎汁(イロリ)、が海草や堅魚と共に税として
徴収されていた。
・古事記に「堅魚木」の記述がみられる。常食していたカツオを屋根の上で素干しにしていた
名残が、神社の棟に堅魚木として残っている。
・10世紀の始の「延喜式」にカツオに関する記述として、志摩、駿河、伊豆、相模、安房、紀伊、
阿波、土佐、豊後、日向の諸国から”堅魚”を、駿河からは”煮堅魚”が、駿河、伊勢からは
”堅魚煎汁”が献上されたとある。
〜 室町時代
・14世紀中頃、室町時代に入り、干しカツオに「焙乾」(生のカツオを火で乾燥させる)
の技術が取り入れられ、鰹節の形が出来てきた。
〜 江戸時代
・17世紀末から18世紀の始めにかけて、「煮熱焙乾」(煮て火で乾かす方法)が用いられ出した。 ・18世紀末に書かれた「譚海(たんかい)」に、鰹節のカビ付けの記述がある。
雑カビを防ぐためのカビ付けはこの頃にはすでに行われていた。
・18世紀の終わりから19世紀始めにかけて、土佐を始めとする各地で「燻乾法」(煙で燻して
乾燥させる方式)が定着した。
〜 明治時代
・明治の始め、3番カビ付けを完成品とする枯節が作られるようになる。
・明治40年代には4〜6番カビ付けの「本枯節」が完成されている。
・水産博覧会が開かれて、各産地の鰹節の品質が評価され、製法技術の交流も 行われるようになり
製法に解良がなされ、鰹節の品質は格段によくなった。
〜 現在
・1913年(大正2年)鰹節のうまみ成分がイノシン酸のヒスチジン塩(5'イノシン酸)であることが、 小玉新太郎によって突き止められた。
・1960年(昭和35年)イノシン酸のヒスチジン塩が初めて工業的に生産された。
・家庭で鰹節を削る風習がだんだん失われてきており、インスタントだしに取って代わられつつある。
鰹漁及び鰹節の製造の歴史に紀州印南(和歌山県日向郡印南町)の漁師たちが深くかかわっている。
カツオは春に太平洋岸を北上し秋に南下するため、薩南〜紀南〜伊豆近海の沿岸から沖合いにかけて がカツオ漁の漁場であった。
16世紀末には、紀州印南の漁師たちが、カツオを追って北は房総まで、南は周防灘から玄海灘を通り、
五島列島まで出かけ九州を一周して、帰りは土佐の足摺半島の幡多地域でカツオ漁を行ったという
記録が印南の旧家に残っている。
17世紀中頃には、紀州印南の漁師たちは、土佐幡多地方に「据浦(スエウラ)」というカツオ漁の
出漁と鰹節製造の基地を設け、1年の3/4をこの地で過ごすようになった。
印南の漁師たちによって改良され伝えられてきた鰹節製造の秘法が各地に伝えられたきっかけには、
人間のドラマが絡んでいるようだ。
土佐に伝わる伝承によると、延宝2年(1674年)、紀州の甚太郎という漁師が、出漁中に土佐沖に
流され土佐の宇佐湾に漂着し、この地で播磨屋佐乃助なる人物に紀州・熊野の鰹節作りの秘伝である、 煙で燻して鰹節を乾燥させる「燻乾法」を伝えたとされている。
(土佐市宇佐町出身の植田穂氏の「改良土佐節の研究」には、播磨屋佐之助が生まれたのは
1805年であるので、「燻乾法」が土佐に伝わったのは、この伝承ほど古くはないのではないかと 述べられている。)
同じく紀州南印生まれの「土佐の与市」(1758〜1815年)は、この地方では日干しの荒節程度の 域を出なかった鰹節の製法を、薪による火力乾燥とし、その後カビ付けをして完全に乾燥させる改 良法に改め、鰹節の品質を飛躍的に高めた。
土佐の与市は30才のころ故郷を出奔し、各地を遍歴した後安房に至り、千倉(千葉県安房郡千倉町) の渡辺家に身を寄せた(1781年)。与市はこの地に火力乾燥とカビ付けを用いた鰹節の改良法を伝 えた。
「土佐切り」という独特の優れた魚の切り方も土佐の与市によってもたらされたといわれている。
1801年、土佐の与市は請われて伊豆の安良里(静岡県賀茂郡西伊豆町安理良里)に赴く。
与市によりこの地に伝えられた鰹節の製法は、隣接する田子地区で手火山式燻乾法に発展し、
現在に至ってもこの製法は伝承されている。その後、更に3番カビを完成品とする枯節が、
4〜6番カビ付けをした本枯節が作られるに至り、「伊豆節」、「田子節」と称し、土佐節、薩摩節と 肩を並べ広く知られるようになった。
1833年に、「土佐与市」と共に房州の鰹節製造技術を高めた功労者といわれる「紀州熊吉」が房州 に渡り、土佐の与市の頃には未だなかった「燻乾法」という煙で燻して乾燥させる方法を伝えた。
これにより鰹節の品質は格段に向上し房州の鰹節は「房熊節」として広く知られるようになった。
3.鰹節の成分 (四訂・日本食品分析表による)
水分 | 15.2% | <アミノ酸組成> | |
蛋白質 | 77.1g | イソロイシン | 3.9g |
脂質 | 2.9g | ロイシン | 6.2g |
糖質 | 0.8g | リジン | 6.7g |
繊維 | 0g | 含硫アミノ酸 | 3.4g |
灰分 | 4g | 芳香族アミノ酸 | 6.0g |
カルシウム | 28mg | スレオニン | 3.4g |
リン | 790mg | トリプトファン | 1.0g |
鉄 | 5.5mg | バリン | 4.4g |
ナトリウム | 130mg | ヒスチジン | 4.4g |
カリウム | 940mg | アルギニン | 4.4g |
ビタミンA | 0 IU | アラニン | 4.4g |
ビタミンB1 | 0.55mg | アスパラギン酸 | 7.4g |
ビタミンB2 | 0.35mg | グリシン | 9.8g |
ナイアシン | 45.0mg | ブロリン | 2.5g |
ビタミンC | 0mg | セリン | 2.8g |
ビタミンD | 420IU | ||
<食塩相当量> | 0.3g | <たんぱく価> | 90 |
制限アミノ酸トリプトファン | |||
エネルギー | 356Kcal |