中国の臼(石磨、碾子、碾磑)

1.中国に伝わった石臼の特徴

前漢の時代に武帝の命で西域探索に向かった張騫(ちょうかん)によって、小麦と石臼が中国にもたらされたという説が有力である。

この時代の遺跡から発見される石臼はリンズの代わりに半月形のホッパーを持つ、ほぼ完成の域に達した石磨(いしうす)であった。

このことから、オリエントで出現し進化した今のロータリーカーンの前進にあたる石臼が、中国にもたらされたといえる。

ただし、リンズ機構が半月ホッパー型に代わっている。この改造が中国で行われたのか、あるいは改造されたものが中国に伝わったのかは、定かではない。

上臼の中央部の凹み(ふくみ)がはっきりとついている。

中国は黄河より南は稲作地帯であり、北側は小麦を栽培している地帯である。

漢の時代にはすでに稲作が行われており、米の脱穀、籾摺り、精米も行われていた。

この目的に用いられたのが
子(石碾)である。
  

円形の溝の上を石でできた回転子を転がすことにより

圧をかけ、米を脱穀したり籾刷りしたり精米をおこなった。


牛に引かせた大型の物から、人の手で廻した小さいものまで様々ある。

<碾>は薬研(やげん)のことを指し、粉砕の道具として今も用いられている。


3.碾磑(てんがい)
西洋のmillが碾き臼(ひきうす)そのものをいう場合もあれば、もっと広く製粉工場、機械工場をあらわす場合がある。

も碾き臼そのものをいう場合もあるが、碾き臼とそれに付随する製粉施設全体をを言いあらわすというのが定説である。

4.茶臼(茶磨)
宋の時代(11世紀始め頃)に茶を飲む風習が始まり、お茶の葉を粉末にするための茶臼(茶磨)が作られるようになった。


茶臼は碾(薬研)で砕いた茶の葉、<碾茶>を<抹茶>の微粉体にする石磨であるが、数ミクロンの粉体を作
るメカニズムは、目を見張るものがある。

@碾(薬研)で荒く砕いた茶の葉を、上臼中央に開いた供給口より投入する。
A心棒と投入孔の隙間で、細分されながら下に下りて行き、下臼の上面に達する。

B上臼と下臼の間の隙間<ふくみ>に入り込んだ碾茶は、上臼の回転に伴い周辺に移動しながら外周部に
達し、微細粉となって受け皿に落ちる。


中心の孔径より心棒の外径が小さいため、上臼の動きは完全な円運動でなく、回転の中心が変わるしゅう
動運動になり、粉砕のメカニズムをさらに複雑なものにする。

2.子(石